本棚の奥の列の本を把握する 「ノマド」の概念整理から
今週のお題「おうち時間2021」
悲しいことに、今やどの本を持っているかの記憶が薄れつつある。
10代、20代のころは、ある本が本棚のどの位置にあるか明確に記憶していた。
もし、スパイが入って、私の本棚を動かして、正確に元に位置に戻さなかったら、すぐ気づいたはずだ。
今は、買った本、図書館で借りた本、処分してしまった本、それらの記憶すら曖昧になっている。
おまけに、ちょっと前、本の整理及び断捨離をして、本棚はスッキリしたのだが、その解決法は・・・
文庫・新書については、入りきらない本を奥と手前2列に並べたのである。
エリアは著者だったり興味のある分野で固めてはいる。しかし、ある本が家にあるかどうかは、奥の可能性がある場合、いちいち手前の本を一度移動する必要がでてきたのだ。
必要になるのは毎日のことではない。
むしろ、滅多にないことだ。
それが、きのうの晩だった。
きっかけは・・・
映画「ノマドランド」を見て、たいへん良かったのだが、なぜ良かったのか、どこが良かったのか考えているうちに・・・
私が「ノマド」的生き方がいいと思ったのって、何がきっかけ?
ノマドっぽい概念に大昔「スキゾ」っていう概念があったよね・・・
とか思って、とりあえず、ネットで検索したのだ。
すると、「ノマドロジー」という概念を提唱したのは、ドゥールズ・ガタリで「千のプラトー」だという情報が出てくる。
あれれ・・・「千のプラトー」読んだよね・・・もうあまり覚えていない・・・😢
家にあったはずだ・・・確認しよう・・・
ネット検索では、柄谷行人の柳田国男論も日本のノマド的考察として出てくる。読んだ、読んだ。
そうか・・・柄谷行人までいくか・・・ここも整理しないと・・・
柄谷行人の「世界共和国」の概念はとても共感しているので、こことの繋がりをしっかり押さえないといけないな・・・これらは絶対家にある。
こうして、「ノマド」はこれまで読んできた本に影響を受けた、自分の底流にある思想にダダかぶっているような気がしてきたのだ。
悲しいことに、関係する著作の内容を正確に覚えていない。(ホント、本読みとしては能力落ちまくり。訓練もしていないし・・・😢)再読が必要。
そこで、本棚の蔵書確認が必要になったのです。
(本の把握の必要性について、ここまで来るのに、長かったですね。)
けさの作業。
手前の本をどけて、奥の本の並びを写真に撮る。
ついでに、見える本も必要な部分は写真に撮る。
やると決めたらすぐできた。
これで一目瞭然。
奥の写真、こんな感じ。
再読作業が開始できることとなりました。
最近、写真に撮ることで、記憶の曖昧さを補おうとしている。
服もかなり写真に撮ったし・・・
脳の能力が下降線をたどっている今、可視化することが大事だと思うんです。
肝心の「ノマド」についての私の思考整理は時間がかかりそうな予感がする。それに一部しかできない気がする。
しかし、始めるしかない・・・か!
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