もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

ストイコビッチのサイン!サッカーにまつわる思い出あれこれ。

サッカーを愛する人々に対しては、「私はサッカーファンである。」というのは恥ずかしい。

サッカーの観戦について、経験も知識も見る目も乏しい。

しかし、個人的なサッカーにまつわる思い出を書いておきたいと思います。

 

ぼんやりした思い出は、1978年のワールドカップのアルゼンチン大会決勝。たまたまテレビで見て、「アルゼンティーナ!」の大合唱と煙もくもくを「何なんだ。これは!」と思ったこと。

次は、1993年5月15日日本プロサッカーリーグの開幕戦。横浜マリノスヴェルディ川崎。ファンでもない私までが、お祭り騒ぎの希望に満ちた晴れやかな気分でした。

同じ年の10月28日がいわゆるドーハの悲劇。テレビで見ていて、ワールドカップ行けるの?と思っていたロスタイムにまさかのことが起きた。ファンでなかったので肩入れして見ていなかったため、NHK実況室の全員(岡田武史もいた。)が無言・涙している数分間を放送事故だと驚きを持って見ました。

その後、結婚して、夫がサッカーファンでサッカーの話を聞くことが増えました。

サッカー好きな人は記憶もすごい。いつ、だれが、だれに、どんなパスを出し、どうなったかとかいう過去の出来事を熱く語ります。

1986年のマラドーナの5人抜きドリブルを実況アナウンス付きで真似したりとか。

ちなみに、ディエゴ・マラドーナの弟(ウーゴ)が日本のJ2のサガン鳥栖にいて宮崎で合宿中でした。夫はレストランで彼を見つけて、それだけで大興奮していました。

夫の影響でフランス大会予選やヨーロッパ選手権をよくテレビで見ました。

ただ私はある人がかっこいいパスを出したとか、すごいシュートを決めたとかは見てわかって感動できますが、ゾーニングとか、ここで上がっていたからパスを受け取れたとかいうことは、解説を聞かないとわからない程度の観戦能力しか培われていませんでした。

なのでテレビ解説者や夫の解説の先入観を持ってしか見ることができませんが、私の中で、すごい選手、すごいプレーというものはあって、その筆頭がストイコビッチでした。

「ニヤッとしながら難しいことを軽々とやってのける天才」というイメージです。

ピクシーという通称も、いかにも西洋人らしいプラチナブロンドの端正な顔つきも、内戦中のセルビア人ということも、ちょっと人を食ったような雰囲気も、私の中で彼を偶像として押し立てていきました。

2000年ごろのことだと思います。

ストイコビッチのいた名古屋グランパスエイトが宮崎のシーガイヤのグラウンドで合宿をしていました。

ストイコビッチという名前は家でよく話題にしていたので、4歳の子どもは彼のことを知っていました。あの頃はストイコビッチの歌とかドゥンガの歌とかみんなで歌っていたのです。ただ名前をメロディーにのせるだけですが。

夫と4歳の子どもと一緒に見に行きました。

 

夫は車を駐車場に止めるため、私と子どもで先にグラウンドに行きました。いきなり50メートル先にストイコビッチが歩いています。

 休憩になった様子。

・・・どうしよう・・・

サインをもらうのは苦手です。会ったらなぜサインなのかと考えてしまい恥ずかしいです。ためらいました。

しかし、なぜか持っていたバッグに紙と油性マジックがありました。仕事で使ったか、子どものお絵かき用だったか、本当にたまたま入っていたのです。

決心して話しかけました。「ファンです。サインをください。」

子どもの手を引いたくたびれたオバサンです。

こころよくサインをしてくれました。話はしなかったと思う。

目の前に立ったストイコビッチは大きかった。

背は高いし、テレビでは細く見えていたが、体の横幅もあり、何より、太ももが大きかった。私の胴体くらいありそうでした。

夫がグラウンドに来た時はすべて終わっており、サインを見て、夫が驚愕したのは言うまでもありません。

 

それからしばらくはサッカーを見ていました。ワールドカップフランス大会。

そして、日本・韓国共同開催のワールドカップ

夫の友人が3試合チケットをゲットすることができ、(わたしも夫も1枚もとることができませんでした。)私はアイルランドサウジアラビア戦に行きました。

サッカー強豪国も興味はあるのだが、テレビで見ていて、イスラムの国やアフリカの国の応援に非常に興味があったからです。

アイルランドのサッカーはほとんど知らなかったが、夫は積極的な評価。

当日の横浜は、アイルランドの緑色を身に着けた赤ら顔のおなかのでたおっちゃんがいっぱいでした。

期待していたサウジアラビアイスラムっぽい歌と太鼓の応援も聞けました。

スタジアムからは、私の力ではプレイうんぬん言えるほどはよくわからなかった。

ともあれ、見ることができて満足でした。

 

話は少しそれますが、東京オリンピックも競技以外のこのような異文化交流も期待していて、チケットも取っていました。が、このような事態で異文化交流どころではありません。誰を責めることもできませんが、非常に残念です。

 

その後は、しばらく熱心なサッカー観戦から離れていました。休憩入れて2時間見続ける気力をなくしていたのです。

今、ヨーロッパ選手権とワールドカップの予選が行われており、夫は見ています。

そこに、歩くだけの人さんの次のブログを見て、サッカーまた見ようかなという気分になりました。

sirhilltaylor.hatenablog.com

sirhilltaylor.hatenablog.com

 そのほか数個のブログです。

デシャンインザーギロナウドルイス・フィーゴルイ・コスタトッティデル・ピエロなど、懐かしい名前がいっぱい。

私が一生懸命見ていた頃の選手は今監督世代です。

ストイコビッチセルビアの監督です。少々お太りになられたような・・・

彼は内戦の制裁により、ユーゴスラビアあるいはセルビアの代表として選手としてはワールドカップに出場できていない。

せめて、監督でワールドカップに出てほしい。

セルビア戦を見て応援するところから、サッカー観戦復活させようかな。

 

最後にストイコビッチのサインです。

もらってすぐ子どもにあげたのです。今はいない子どもの勉強机のデスクマットの下に20年入っていました。

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黒い字の左のピンクの線は、どうも子どもがもらってすぐにサインの真似をしたようです。まだサインをもらうということもわからなかったでしょう。

 

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