新日本風土記「空海の旅」を見た。わたしを空海が見守っている?
わたしは、ダライ・ラマ14世の生き方にかなり共感しており、彼の解説をとおしての仏教の教えも共感するところが多いです。
日本の仏教でチベット仏教にもっとも近いのが、真言宗と言われています。
真言宗の教え自体はよくわかりません。
しかし両親は真言宗のお寺にお世話になっており、仏事は鳴り物が鳴ったり、お経がサンスクリットっぽいものが多くて、呪術的で好きです。(全然信心深くない表現ですね。信心したいけど、信心はまだできないもので・・・)
で、真言宗の開祖である空海は超人的な伝説が多く、興味深いものがあります。
数年前、高野山に行きました。とても気持ちいいところで、弘法大師が背中から見守ってくれているような、力強く暖かな不思議な感覚を持ちました。
この番組では、お遍路さん、弘法大師が見つけたとされる水を守っている人、弘法大師が使っていたとされる火を守っている寺などがでてきます。
この番組に登場する人は弘法大師は今も存在して私たちを見守ってくれていると思っています。
わたしも、そんな気分になりました。
退職後、宗教心はないが体の元気な時にしたいと思い、一人で四国八十八カ所巡りをしている方が、お接待所で言います。
(記憶で再現しており、正確な発言ではありません。)
「巡礼していると、人々が優しく接してくれる。この優しさが心にしみる。普通の生活に戻っても、これは忘れられない。自分も優しくありたい。」
「お接待」自体も仏教的な行為で、弘法大師の「心」を行為に表そうとするものですが、お接待を受けたほうも「優しくありたい。」と思ってしまう・・・そういう人と人とのつながりっていいですよね。
別に仏教じゃなくても、宗教じゃなくてもいいんです。
でも、「優しくありたい」と思わせる「場」がお遍路さんであり、弘法大師の力なのかなあ・・・と思ったりもしたのです。
信仰心はまだないんです。しかし、高野山で感じた「背中から弘法大師に見守られている」暖かな感覚をいつも感じて、あらゆるものに優しくありたい。
今は強くそう思っています。
今、パソコンから目を上げると雲が被った山が見えます。あそこにも弘法大師がいるんじゃないかという不思議な感じがします。
・・・アブナイかな?・・・
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