軍備のある永世中立国スイスのことをきっかけに非武装について久しぶりに考えた。
東京に住んでいる24歳の子どもとの電話での会話。
どうでもいい会話の中で・・うちの子の話。
どうでもいいことで、ある人と意見が違って、通りがかりの人に意見を求めた。
「僕はスイスのように中立ですから、何も言いません。」
「よくご存じで!」
みたいな会話が交わされたというのだ。
???・・・・
スイスは非武装ではない。軍がある。兵役も厳しかったような・・・
それで、私は「今も変わってないと思うけど・・・(子供が非武装だと断言するので自信がなくなったのだ。)」とスイスが非武装は間違いであることを指摘した。
ここで、どうでもいい会話は重要な確認行為に変わっている。
子どもはさっそくその場でネットで調べていた。
「ホントだ。軍がある・・・」
同じ話を前日高校の時の同級生とオンライン飲み会でして、誰も指摘しなかったというのだ。
うちの子は宮崎県内では一応有数の進学校に行っていて、世界史のセンター試験も98点ぐらいだったらしい。
それなのになぜ、こんな重要なことを知らない??
これが本日の問題点1。世界史教育に問題がない?
そして、私は親子の会話を超えて、「中立であることと、軍を持っていることとの関係について、考えてみたら?」とか言ってしまった。
子どもは、皆に訂正して回らないといけないと、自分たちの無知にショックを受けていた。
スイスは中立国で、武力により自国を守るという姿勢を、長く貫いていることは知っていた。そして、それはヨーロッパにおける他国との関係の中で、そのスタイルができたのだとも、一応は理解しているつもりだった。
そして、一般的に言うと、中立国は中立国であるからこそ、自国を守るのは自国しかないのである。
中立国であるということと非武装は、一般的には両立しない。
この会話をきっかけに、非武装である国家について久しぶりに考えた。
私、全然自分の意見が整理できてない!!これが問題点2
島国日本の歴史の中で生きてきたせいか、私は「国を守るとはどういうことか」を、やはり感覚的に理解できていなかった。
私は、ずっと戦争は嫌で、軍を持つことを良しを思っていなかった。
非武装で、自国が維持できるのが一番いいと思っていた。
が、年を取るにつれ、武力を持っていることによる抑止力について、少し感情的にも理解できるようになってきていた。
とは言え、「自分の国は自分で守らないといけない。だから武装は必要。」
そんな単純な話なのだろうか・・・
非武装の国が攻撃されたらどうなるのか。
非武装の国が攻撃されたときに、非武装の国と同盟関係にある武装した国が保護してくれるのは、自分だけが非武装であるにすぎず意味ないような・・・
所詮、世界は武力に基づいた均衡なのだろうか?
非武装の国はどうやって国を守るの?守れないの?
2度の大戦を経て、国際連合を維持している意味は何なのか。
国際連合って何なのか。機能しているのか。機能していないのなら何が問題なのかという話に進んでいく。問題は拡がるばかり。
こうして、長く生きても、ずるずるよくわからないままで、ため息。
自分の課題は整理できないまま。
そして自分で整理できたとして、その整理された意見が、世の中には何の力にもならないだろうことが、さらに「何やってるんだ」感を強くする。
カントの「永遠平和のために」(日本語の題が微妙に変わった。前は「恒久平和のために」だったような・・・)が好きです。
1795年に国際連合的な組織の必要性を説いた著作です。最近読み返していないのですが、読むと精神が活性化され、何を重要なこととして考えなければいけないか、自分の中で確認できるようなものであります。
久しぶりにこれを読み直し、その後で、非武装について、中立や同盟について、そして国際連合のような国際平和維持のための組織について、確認することにしたいと思います。
整理できるレベルには、まとまらないような気がしています。すでに逃げ腰?
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