宮崎から青森・岩手の旅 その2 弘前へ TSUGARU そして津軽三味線を聞く。
「津軽」はわたしにとって遠いところ。
知らないところへの憧れ。
「津軽」はわたしには「TSUGARU」。
不思議な、心地よい音の単語。
あと、~津軽の春は・・・~という歌を口ずさむ。
これは、さっき調べたところ、新沼謙治の「津軽恋女」という歌らしい。
おまけに、「津軽の春」なんて歌詞はない。「津軽の海は~」と「津軽の女(ひと)は~」という歌詞であった。
二短調だと、レドレファラド(高いほう)ソラ となる。
音楽的な理論はわからないが、短調でありながら、開放的な優しいメロディ。
このメロディがわたしにとっての津軽。
もう一つ!
松村和子の「帰ってこいよ」という歌。この歌が大好きなのだ。
津軽三味線がフューチャーされた明るく元気がいいがどこか優しい。
きっと帰ってくるんだと お岩木山で手を振れば
で始まる。
お岩木山ってどんな山なのだろう?もちろん写真では見ることができるが、長いこと自分で見てみたいと思っていた。
ネット情報では、弘前からはどこからでも岩木山が見えるという。少しの時間でも弘前に行ってみようと思った。
新青森から奥羽本線に乗り換えて、40分ほどで、弘前に着いた。
あいにく、小雨が降ったりやんだり。
弘前について事前に調べたら、古い西洋建築の建物が残っているらしい。
ワタクシ、自称、近代西洋建築探偵団の一員でアリマス。
それを見ながら、各地で岩木山を眺めることにした。
弘前城辺りからカッパを着て歩く。
旧第五十九銀行
旧弘前市立図書館
他にもたくさん見たが、あいにく木造建築は、萌えないのです。
わたしが見た中で萌えたのは、
弘前に古い建造物がたくさん残っているのはなぜなんだろう?そこのリサーチは十分でありません。
たぶん日本の古い街にはもある程度あったと思うんです。古い洋風建築。なぜ弘前にたくさん?
弘前は空襲がなかったのかなあ・・・誰か保存に熱心な人がいたのだろうか?バブルの地上げがなかったのだうろうか?
あちこちしながら、岩木山を見るのだが、平地からだと建物などで山の下側は見えず、山頂も雲で見えない。
弘前城のお堀の横を通って、仲町伝統的建造物群保存地区へ行ってみる。
お堀は紅葉途中。
カモさんは首をすくめて寒そう。
この日の一番よく見えた岩木山はこれ!
大きい。天気が良い日はいつも自然に視界にあるんだろうな・・・
たくさん歩いて血糖値が下がってきて、「津軽藩ねぷた村」という観光施設にはいって、生のリンゴとリンゴのお菓子を買った。
そこでバクバク食べてしまったので、写真はない。
りんごがおいしかった。品種はただの「ふじ」。味が濃い。歯ごたえがある。宮崎のスーパーで買うリンゴと違う。
鮮度??
そこで考えた。マンゴーは宮崎で食べるほうがよそで食べるよりおいしいのだろうか?
これは、その時買ったリンゴの残りの一つです。八甲田山で食べたもの。
日が暮れて、青森駅へ移動。
津軽三味線を聞くために、「ねぷたの國 たか久」という郷土居酒屋系のお店に行った。ネットで調べて、一人で行って、いろいろな種類の食べ物が食べれて、津軽三味線をちゃんと聞かせてくれそうなところという基準で選んだ。
まず、料理が出て落ち着いたところで演奏タイム。
演奏の内容は、オーソドックスな曲と思われるものの演奏。
津軽三味線が流派によってスタイルが違い、弾いた曲を高橋竹山(津軽三味線の伝説的奏者でわたしもCD持ってる。)風に弾いたらどうなるかとかという演奏。
「津軽海峡冬景色」が津軽三味線の伝統的リズムで構成されている解説と演奏。
など、エンターテインメント的で面白かった。当然津軽三味線の音を目の前で聞くことのできる感動もあった。
ねぷたのパフォーマンスもあった。
お店の内装もねぷたっぽい。
あこがれのTSUGARUにちょっと触れることのできた半日でした。
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