愚痴が苦手 言うのも 聞くのも
今付き合っているそんなに多くない友人との付き合いで、困ったものだと思うのが、「愚痴タイム」。
愚痴って問題を解決する方向にはならないですよね。
「聞いてもらって気分が楽になった。」
とか、「話す・聞く」という行為だけの時間。
心理学的には、単なる「話す・聞く」は、ストレス軽減や問題解決に効果があるとは、頭ではわかっている。受容的傾聴。
それで一応聞く。「そうなの?たいへんね・・・」という感じ。
でも、心の中では、具体的な問題解決を目指してしまうのだ。
問題解決の提案をつい口にしてしまったりもするが、相手はその解決方法は採りたくないことがわかる。
結局現状維持しかないと思っているのだ。
それなのに、人に聞いてもらうことの意味がわたしには理解できない。
内心、かなりイライラする。
ワタクシ、今は時間が十分あって、まったりと暮らしているが、50余年培ったせわしい性格はぬけない。
同じところをぐるぐる回っているだけなのは、苦手なのである。解決を目指してしまう。
自分も、家族にも愚痴は言わない。
困ったことや嫌なことがあったら、自分で解決しようとする。
解決を目指すために人に相談することはある。
自分で考えても、人の意見を聞いていも、解決できないことは多い。何も変わらないこと。
その時は、「何も変えられない。」が一応の解決であり、我慢というか、自分が受け入れるしかない。
誰に言っても変わらない。口に出すことで、またその問題を顕在化してしまう。
可愛げのない、嫌なヤツだなあ・・・あるいはキケンなことかもしれない・・・と自分でも思うのだが、これはどうしようもないと思うんです。
ちょっと、書いてみたくなりました。
こういうことってあるよね・・・という事象の報告のつもりで書きましたが、これは、愚痴の一種のような気もします。(ニガ笑)
ランキングサイトに参加しています。この下のバーをポチッと押して私の元気に協力してください。
お願いします💛
↓