もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

「マッチ売りの少女」と「フランダースの犬」は焚書にしたかった。わたしの子育て

きょうははてなブログで「マッチ売りの少女が知っておきたかったこと」を読んで思い出したことがありました。

 

うちの子は今、23歳。大阪の大学を出て、東京で就職して会社員をしています。

今のことろ、たくましく生きていて何よりです。進学の際はあらかじめ、親(わたし)が無駄だと思うような大学進学にはお金は出さないと伝えていただけで、大学進学も就職も本人の好きなようにさせました。今もいいことばかりではないと思いますが、未熟ながら自分で自分の人生を何とかしようとしているようです。

小さい時から、自主性をもって行動し、行動したことには自分の責任が伴うということだけ、課してきたつもりです。親や先生の言うことを聞けということは一度も言ったことがなく、親でも先生でも人が言ったことが正しいわけではない、その言葉が正しいかどうかよく聞いて考えて、自分はどうするか決めなさい、と言っていました。(人の言うことを素直に聞く人は騙されやすいとまで言っていました!!)なので、一種生意気で、6年生の時は部活の保護者の一人と意見が合わず、理詰めで意見を戦わせ、その保護者を泣かしたことのありました。泣くほうも泣くほうだけど、うちの子もまだ、やさしさやいなす術を持っていなかったのだと思います。

今日思い出したのは、「マッチ売りの少女」と「フランダースの犬」はストーリーがよくない、私が権力者だったら焚書にしたいぐらいだと、わたしが子どもに強く意見を言ったことです。

オリジナルのテキストはよく知りませんが、世間で伝わっている話では、マッチ売りの少女はマッチが売れなくて街頭で凍え死んでしまします。フランダースの犬もネロは最後のお金でルーベンスのキリストの絵を見て、たぶん飢えて犬と死んでしまいます。

こんなことをするのはバカだ。こんな生き方をしてはいけない。私は子どもに語りました。

マッチが売れないのだったら、別の商売を考えるとか、商売がだめだったら、「助けてください」と大人に訴えるとか、死ぬ前にすることはたくさんある。できることを考えて、まずそれをしないといけない。

ネロも然り。今あるお金を生き延びるために有効に使う努力をしようよ。お金でダメだったら、「助けてください」と言いまくろうよ。絵は後でも見れる。少なくともパトラッシュ(犬)だけでも助かる行動を取らないと、飼い主として責任を放棄している。

マッチ売りの少女もネロも生き延びる努力をしなかったのが絶望からだとすると、子どもが読むにはあまりにもひどい。

で、子どもと夫とで、マッチ売りの少女とネロに説教をする人物を創造して、新たな展開のお話を作ったりしていました。

私の行った行為も子どもにある偏った価値を植え付けてしまったかもしれません。

でも、どうやっても生きてほしい、これが子どもにどうしても伝えたかったことでした。

だからどうだという話ではありません。おしまい。

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