才能・能力 好きなこと お金を稼ぐこと
先日、見たテレビの影響で、東京フィルハーモニー交響楽団のホームページを見た。
そこで、たまたま、ある団員の名前が目に留まった。
ウチの子の小学校・中学校の吹奏楽部の1つ上の子。
音楽が充実した高校に進み、音大に行ったのは知っていた。
・・・東フィルに入ったんだ・・・よかったね・・・
というのも、吹奏楽部だったため、ウチの子の友人は音楽大学に進んだ子が少なからずいる。みんなどうしているのかなと気になっていた。
これから書くウチの子のことはちょっと自慢みたいに聞こえるかもしれないけど、決して自慢ではなくて、一つの事例のキャラクターとして読んでください。
ウチの子はかなり音楽の才能があるように思える。
ピアノを習っていたけど、小学校の終わりに先生から「私はこれ以上教えられないから」と別の先生を紹介された。結局部活が忙しくて、先生に習うのはそこで終わった。
でも、時間があるとずっとピアノを弾いている。クラシックではなく、よくわからん音楽。というのも、聞いて気に入った曲を耳コピーして、おまけにそれをさらにアレンジして弾いたりしている。作曲もしていた。
大学に行くときも電子ピアノを持って行った。就職で東京に移るとき、新しいピアノを自分で買うからと、古いピアノは宮崎の家に戻し、先日家に帰った時もずっと弾いていた。
クラシックの人からすると、技術はないのだろうが、複雑なリズム、美しいフレージング、おしゃれな和音。かなり聞きごたえがある。
小学生の時は小学校学校の校歌の伴奏も先生から頼まれて、楽譜がなかったので、楽譜を書き、演奏していた。先日小学校の校歌を聞く機会があったが、ウチの子の楽譜のまま!
吹奏楽でも、部員の誰よりも、譜読みが早く正確。音感もよく、合奏していて誰が正確な音程をはずしているか、すぐわかった。チューバを吹いていたのだが、演奏もうまかった(らしい)。
和音の構成・進行もすぐピンときて曲の構成を理解していた(らしい)。
たぶん、チューバだったのも和音のトレーニングに役立った。一番下の音を吹いて、上の音を聞く。
「らしい」は指導の先生などが話してくれたことによる。わたしはわからん!!
小学生の時から作曲もしていて、卒業演奏会の時は、卒業するメンバー全員に必ずかっこいいソロが入るようにパート譜を書いて、みんなで「カエルの歌変奏曲」を演奏した。最初基本メロディーから始まって(かえるのうたがきこえてくるよ)、ジャズ風に展開し、最後はラベルのボレロ風に盛大に終わる楽しい曲だった。
部の活動も、大会でよい成績を取り、九州大会には行っていた。全国大会には行けなかった。
で、東フィルに入った子とは4年一緒に演奏していたわけです。金管のアンサンブルでも4回コンクールで演奏した。当時はウチの子は自分のほうが音楽性はすぐれていると思っていた。
東フィルの子は、音楽の道に進む強い希望があり、親が積極的でないのを押し切って音楽のできる高校に進んだ。それからたぶん音楽一直線ですよね!
・・・そして、今東フィルに入っている。
ほかの音楽に進んだ子たちは、今のところ情報はつかめていない。
音楽大学に行っても、演奏家になることは狭き門だろう。彼ら、彼女らが満足する生き方ができることを望むばかりだ。
ウチの子は、高校では吹奏楽をしなかった。審査される音楽がいやになったらしい。で囲碁部に入り、女子の囲碁部活動があまり盛んでないため、吹奏楽時代行きたくても行けなかった全国大会なるものにも行っていた。
大学は法学部を選び、ただの会社員になった。
そこそこ稼ぎ、仕事もまあ充実しているらしい。
大学ではアコースティックギター部に入り、ギターとピアノを弾き、仲間と演奏して楽しんでいたようだ。
最初のボーナスで電子ピアノを買い、家でピアノを弾き、ギターを弾き、たまには知人とスタジオを借りて一緒に弾いているらしい。
彼女は、なによりも音楽が好き。そこそこ才能もある。(食べていけるぐらいかは私にはわからない。)
でも、彼女の選択肢には、「音楽で食べていく。」はなかった。
彼女はチューバで培った息の入れ方やビブラートとピアノのタッチ、もちろん美しいフレージングで、鍵盤ハーモニカがうまい。
大学の部の演奏をYouTubeで見せてもらったが、これはすごい!鍵盤ハーモニカ吹きってそこまで多くないじゃないですか。
で、就職活動中に彼女がモヤモヤしているとき、私は「鍵盤ハーモニカで食べていったら?」と言ったが、相手にされなかった。
私は、鍵盤ハーモニカ吹きは、安定しない地味な商売かもしれないけど、それはそれでいい生き方かもしれないと、今も本気で思っている。
私はまったく好きでもないことを30年以上やってお金を稼いだ。あまり楽しくなかった。
人生は戻ってやり直すことはできない。でもどっかで立ち止まって今までと違うことをする決断はできる。
私は止めるまで好きでもない仕事を続けて、結果としてそこそこの経済的安定を得ている。過去は受け入れるしかない。
でも、お金はよくは稼げなくても好きなことを仕事にしていくことにも憧れる。
私の場合、がんばってやり遂げようと思うほどの好きなことはなかったのかもしれない。
ウチの子は音楽をしているときが今も一番楽しいはず。だけど、音楽で食べていこうとは思っていない。
贅沢が好き。音楽ではたぶんたくさんは稼げない。
そして、好きなものは自分だけで大切に囲っているのかもしれない。お金という垢を付けないのかもしれない。
【まとめ】
だらだら書いたのでまとめます。
1 能力や才能があってそれが好きなことへの取り組み方
好きなことを一途にそれだけガンバル生き方があります。その道では秀でますが、ほかのことはあまりできません。
いろんなことを楽しむ生き方があります。いろいろできるけど、どれも中途半端。
2 才能や能力があって好きなことを稼ぐ手段にするか。
稼ぐ手段にすると、常にそのことに取り組めるので、それは幸せなことだけれど、稼ぐことに伴う楽しくないことが、好きなことに侵食してくる。大して稼げない可能性がある。
稼ぐことと好きなことを切り離すと、稼ぐことはそこそこできますが、自分の充実があいまい。
たぶん実際には、この極端な選択ではなく、塩梅の問題として、人それぞれが自分の置き所を決めているのだと思うのですが、難しいですよね。迷いますよね。
ウチの子の先輩が東フィルに入ったという情報を得て、改めて、「才能・能力、好きなこと・お金を稼いで食べていくこと」のいろいろな選択について、これまで感じていたことが再燃してしましました。
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