もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

【人新世の「資本論」】検討 柄谷行人の「世界共和国構想」概略に触れながら

斎藤幸平氏の「人新世の『資本論』」を読んだ。

売れているらしい。

これについての感想を述べるとともに、柄谷行人の「世界共和国構想」についても若干触れることとします。

 

 

「人新世の『資本論』」について

1 構想の目的

開発による気候変動に伴う地球の存続の危機、かつ「グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域および住民」の著しい経済的・人権的格差問題を解決に導く。温暖化対策は2030年に一定の二酸化炭素削減ができていないと地球は危ない。

2 構想の内容

地球温暖化は喫緊の課題であるが、2030年に一定の二酸化炭素排出量を削減するためには、経済を成長させながらの実行は不可能である。

その解決には、マルクスの出版されていない後期のメモを読み解き、それを参考にした「脱成長コミュニニズム」の形成が不可欠だ。

マルクスは資本主義は労働の搾取であると同時に地球資源の搾取により成り立っているという。

特に、コモンズ(土地や地下資源、水など)は万人にとっての使用価値であったため、共同体的な富として管理していたが、資本主義が使用価値のある財を囲い込んだ。そのため、人は貨幣的「価値」をふやすことができるが、生活に必要な財を利用する機会を失っていった。

価値を増加させることでシステムを継続する資本主義の上では、「成長」は必須である。

そのため、資本主義の枠の中では温暖化抑制には限界があり、人間が安定して暮らせる地球環境は維持できない。

また、マルクスは生きていくのに必要な生産消費活動の「必然の国」と人間らしい活動、芸術、文化、友情、愛情、スポーツの「自由の国」を分けた。そして「自由の国」を拡大することを求めていた。

人々を長時間労働と際限のない消費に駆り立てるシステムを解体し、「必然の国」を縮小し、「自由の国」へシフトすべきである。

つまりは、資本家による資本主義をやめ、労働者が生産を管理する、相互扶助と自治に基づいた「脱成長コミュニニズム」を目指すべきである。

具体的には、「使用価値」を重視し、大量生産・消費から脱却する。労働時間を短縮し、生活の質を向上する。画一的な分業をやめ、労働の創造性を回復する。生産過程を民主化する。エッセンシャルワークを重視する。

具体的な取り組みとして、

例 都市での野菜栽培 コペンハーゲン

例 グローバルサウスに目を向ける

例 バルセロナ 脱成長

などを挙げている。

3 構想のもととなる主な思想

これまで普及されていなかったマスクスのメモの研究成果

 

4 わたしの考察

(1)今、なぜ、マルクスなのか?

前提として、マルクスマルクス主義は違う。マルクスソ連や以前の東欧諸国や中国の基本思想も違う。

それでも一般的には、ベルリンの壁が壊されてから、マルクスは終わったと思われ、マルクス自体への偏見が多い。

マルクスが地球環境・地球資源の資本主義によるダメージを認識し、問題解決を図ろうとしたことはわかる。

だけど、論理展開として、「マルクスがこういったから、こうしよう。」みたいなマルクス支持を打ち出して、新たなムーブメントを作ろうとするのは、効果的でないのではないか。

それとも、ムーブメントを作りたいのではなく、目的はマルクス再評価なのか?

(2)具体的提案力の欠如

労働者が管理する脱成長コミュニズムの提案は理解する。それに至る提案は自治体レベルの野菜作りや会議。そこから始めるのも悪くないかもしれない。でもそれだと、斎藤氏がタイムリミットだという2030年までに社会がかわるだろうか?

提案力として効果性に欠ける。

どう考えても、2030年に間に合う二酸化炭素削減に釣り合う提案ではない。

もっと長期的な展望ならまだ理解できる。

(3)人間の欲望の方向性

マルクス唯物論歴史観か、そうでないかはわからないが、人間の欲望はどこへ進むのでしょう。

野心や力のあった人が資本家になって、自分もそうなりたいと思っているんじゃないかな?

資本主義って今までは人間の欲望に必然の方向だったのですよね。

今、多数の労働者は何を求めているのでしょう?豊かさ?もの?こころ?

多くの人は、自分がアクションを起こさないといけないぐらい自分の生活限界だと思っているでしょうか?

自分と地球が生き残るために、新たな社会構築にふみだせるのでしょうか?

あるいは、労働者自身による生産体制ができたとして、力がある人が内部権力を増加させて、資本家と同じように自らの利益を拡大させる方法には進まないのでしょうか?

 

 

柄谷行人はしばらく前から「世界共和国」構想に取り組んでいます。

 

現代社会のアンチテーゼとしては、かなり心を奪われる構想です。

 

 

「世界共和国構想」について

1 構想の目的

資本主義のグローバル化により「国家」は様々な問題をはらみ、存在自体を再考する段階に来ている。そこで、現在の次に来るべき世界を構想する。

2 構想の内容

国家の枠組みを超えた「世界共和国」構想。経済活動は資本家によるものではなく、労働者自身が分業と協同によって生産するアソシエーション(生産者協同組合)を作り、生産活動を行い、その生産物は互酬交換を行うことで共有する。

・・・この構想の組み立てがたいへん繊細なものであり、構想にいたる概略を書こうと思ったが、ここにわかりやすく簡略に書くことができません!!

3 構想のもととなる主な思想

プルードンマルクス・カント など

4 わたしの考察

(1)地球資源の枯渇・温暖化問題について

柄谷氏はマルクスがこれらの問題意識があることは把握しており、柄谷氏も温暖化問題対策としても、「アソシエーション」を検討している。が、構想は温暖化対策のためではなく、現代全般の問題を踏まえ、次に来る社会システムを構想するという立場である。

(2)理論構成のための検証

これまでの社会システムの歴史全体を再構築・再理解するにあたって、マルクスにとどまらず、さまざまな思想家の考えを考察しながら論を進めている。

ただし、それぞれの思想家が本当に考えていたことは、不勉強なわたしには具体的には検証できず、「そうですか」としかわからない。

ただ、現在新たな構想を打ち立てる方法として、過去のさまざまな思想を使っていく姿勢に感服する。

あるいは、この構想の結論が、柄谷氏の全くのオリジナルとも考えれば、過去の思想の考察が適切かどうかという問題にせず、非常に新鮮なものと評価できる。

(3)実現性

人々が進んでこの方向に進むのか?

上記の「人新世の『資本論』」についての4(3)で述べたことと同じ疑念があります。

柄谷氏は、カントの「他者を手段としてのみならず同時に目的をして扱え」というある種の倫理をよりどころにしている。目的として扱うということは他者を自由な存在として扱うこと。他者とは死者も未来に生まれてくるものも含むということで、未来のもののためにもこのシステムで地球の問題も当然視野に入っている。

しかし、これまでも、人は他者を手段として扱ってきたことばかりじゃないですか?

これを柄谷氏はカントの命題や普遍宗教という倫理観的なもので乗り越えられると思っているようですが・・・

身に迫る危機や報復を恐れないと人は動かないんじゃないかと思うんです。

 

誰もが、社会科で「社会契約説」を習っていて、ホッブズ性悪説に基づくもの。「万人の万人に対する戦争」状態を脱するために、自己保存権(自分の生命を守る権利)を相互に放棄し合う」というスタンスです。一方、ロックは自然状態は平和であるが、富の不平等が戦争状態をもたらすので社会契約したと説明されています。

社会契約はある種の我慢です。制度や法という足枷・制裁が作られました。

「世界共和国」構想にも我慢が必要です。なにか足かせ・制裁がないと実効性が担保できないと思うのです。

例えば・・・すべての人の様々な権利の保有維持は誰もが賛成します。でも、だれも見ていないところでも、皆がそういう態度だろうか?誰も見ていなければ、そのことが公表されなければ、目の前に誰かを肉体的にも精神的にもボコボコにする人いるんじゃないか。倫理的に正しいから、人権を尊重しているのではなく、制裁が嫌だから他人の人権を尊重している人が実は多いんじゃないかとか思ったりして・・・

 

柄谷行人の「世界共和国」構想は、精読を続けていきます。

 

わたしがそもそもなぜ世界共和国構想に興味を持っているかというと・・・

こちらをご覧ください。

lamabird.hatenablog.com

 

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