もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

2022北京オリンピック開会式の感想 「作り笑い」のイベント

自称オリンピック開会式評論家として、見なければいけないと録画していた今回の北京オリンピックの開会式をやっと見終わった。

 

2008年の北京オリンピックの開会式。

記憶にある方は多いと思います。

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すごかった。

お金、人力、かけまくり。

そして、その効果絶大で、圧倒される力強いパフォーマンスだった。

黄河文明から続く、大国中国だ!!

 

有朋自遠方來不亦樂乎(朋有り遠方より来る。また楽しからずや。)

論語」の冒頭のことばの大合唱から始まる。

なんという格調の高さ!

 

ちなみに、ウチの子の名前は「朋」の字を使っている。論語のこの言葉からもらった。

人との関りで、ウチの子と会うことが「また楽しからずや」と誰かから思ってもらえるような人間になってほしいなあ、と思って使った。

そのこともあり、かなり感動してしまった。

 

そして、漢字の披露。

欧米とは違う、いや、欧米よりも歴史と成熟を持った文化を見せつけた。

 

ちょっと脱線ですが、世界で美しい言語はフランス語だと言われます。

なにをもって「美しい」というかによるのですが、わたしは中国語だと思っています。

美しいというより、世界で一番格調高く強い言葉です。迫力があります。

子音の切れ、母音の明瞭さ、四声の抑揚、リズム感。

各国が議論すると、あの言葉の強さだけで中国が勝っちゃう気がする。

 

とにかく、2008年の開会式は好感をもって圧倒されました。

 

そして、2022年の開会式。

 

一言で言うと、「作り笑い」の開会式でした。

 

なんでそう思ったのか・・・

2008年以降、世界はますます多様化して、人の様々な個性がポジティブに重視・評価されている。

あと、環境問題。

まさしく、SDGsの価値観がオリンピックのような世界の最先端をいかなければならないところでのワールドスタンダードです。

で、中国はそのワールドスタンダードを自然にこなせるかというと、たぶんそうではない。

ダライ・ラマチベット亡命政府を応援するものとしてワタクシ確信しています。中国は絶対さまざまな価値観は認めていない。政府の支障のない範囲で「自由と多様性」のふりをしている。ウイグル族の迫害は事実としてよく把握していないのだが、チベット人を忠実な中国人民に矯正し、チベット独自の文化を破壊していることを考えれば、ウイグル族はかなりひどいことをされてるんじゃないかと思ってしまう。

その先入観がわたしにそう感じさせるのかもしれないけど、中国には多様性や自由は根付いていない。

今回の開会式は、中国にも「多様性や自由」があるんだよ!と必死でアピールしていたと思うのです。

でも、それがうそっぽく見えた。

 

各国選手入場のとき、東京オリンピックと同じように、ボランティアの人が歓迎の踊りというかパフォーマンスをしていたが、それが演技に見えた。東京はいい意味でいいかげんな脱力した、でも当事者は楽しんでいて気持ちの伝わるパフォーマンスだった。

プラカードをもった人が、みんなきれいでスタイルがよかったもの気に食わなかった。あとでダンスをする人だったからしようがなかったのかなあ・・・

組織委員会委員長とバッハ会長のあいさつのときに後ろで各国の国旗を持った人が、笑みを浮かべていたのが気持ち悪かった。

この「笑み」は各所で見られた。子供のオリンピック賛歌斉唱のときも、演技でニコニコしていたのが、嫌だった。

一般的に、たとえばフィギュアスケートの演技では苦しくても笑みを浮かべて、優雅に舞っている演技をするのだろうが、その人たちは演技者で何か伝えようとしている。この開会式の登場した人々は一般の人であり、演技する必要はない。なのに笑みを浮かべており、その笑みは喜びを伝えるわけでなく、意味が伝わらない「作り笑い」だった。

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そういうちょっとした事の積み重ねで、この開会式がニセモノに見えた。

(東京はホンモノだったかというとそれもどうだろうとは思うんだけど、ニセモノとは思わなかった。)

 

中国自体は2008年と比べてどうのような変化があったのか知らない。

2008年は、「多様性や自由」で勝負しなかったから気付かなかっただけかもしれない。

あるいは、2008年以降、中国は豊かになり、世界の先進国となっているが、国全体としてはいろいろな問題があり、その見えるものと見えていないもののギャップが、この開会式で露呈されたのかもしれない。

 

東京オリンピックのときも思ったんだけれど、そもそもオリンピック開会式のパフォーマンス自体が唾棄される時期に来ているとも感じる。

夏は暑い中、冬は寒い中、選手が楽しんでるのかしら?

世界に向けてなら映像でもいいし、開催が2度目の国の場合、発信するコンテンツが国の文化や歴史の紹介メインでは新鮮味がないから、よりひねったことをせざるを得ないです。その必要性があるのか?

 

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