久しぶりに楽しみにしていた映画が「クレッシェンド」だった。
宮崎で公開されると聞いて、カレンダーに〇をして、万全を期して見に行った。
世界的指揮者のスポルクは、紛争中のパレスチナとイスラエルから若者たちを集めてオーケストラを編成し、平和を祈ってコンサートを開くという企画を引き受ける。オーディションを勝ち抜き、家族の反対や軍の検問を乗り越え、音楽家になるチャンスを掴んだ20余人の若者たち。しかし、戦車やテロの攻撃にさらされ憎み合う両陣営は激しくぶつかり合ってしまう。そこでスポルクは彼らを南チロルでの21日間の合宿に連れ出す。寝食を共にし、互いの音に耳を傾け、経験を語り合い…少しずつ心の壁を溶かしていく若者たち。だがコンサートの前日、ようやく心が一つになった彼らに、想像もしなかった事件が起きる――。
ユダヤ人指揮者ダニエル・バレンボイムとパレスチナ系アメリカ人の思想家・文学者であるエドワード・サイードが設立した「ウエスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団」をモデルにして作られた映画と聞いていた。
音楽のちからで、民族的憎悪を、敵対している人を「人」として認め理解しようとする試みだと思っていた。
エドワード・サイードは、世界史の一つの構造的分析として評価される「オリエンタリズム」や「知識人とは何か」、その他もろもろ、パレスチナの現状を描いたエッセーなどで、わたしのたいへん好きな著作者である。
彼らの活動については、以前も少々ブログで書いた。
映画ではどんなふうに敵対するものに所属する人を理解していくのだろう。
理解して、どんな音楽が作られていくのだろう。
期待していた。
<ここから少々ネタバレ>
理解の方法は音楽を通してというより、心理学的手法であった。
なぜ、これを指揮者がするのか、当惑してしまうぐらい。
しかし、この手法はバレンボイムも採ったと聞いたことがあるような・・・・
共同生活は、お互いの理解を理解するには良い方法だとはわかるが、それだけなら音楽は要らない。
映画内の演奏もあまり説得力がなかった。
相手を受け入れられない時の演奏がこうで、理解し始めると演奏が変わっていくというような表現を期待していたのだが、そこが十分わからなかった。
最後のボレロの演奏は集まった若者たちが理解と協調の方向にあることを伝えていたけど、演奏の描写では「対立から理解へ」を表現しているのはそこだけだった。
わたしが期待しすぎた。これはあくまで映画であった。
映像として見ることができてよかったものもあった。
パレスチナ人居住区の町並。
検問所の様子。
ユダヤ人の持つホロコーストの記憶。やっとたどり着いた安住の地イスラエルへの固執。
パレスチナ人にとっては、ユダヤ人に家や土地を奪われ、貧しく不自由な暮らしを強いられている日々。
対立によって、それぞれ家族が殺されたという歴史を持っている。
戦争ってこういう憎しみを残す。
日本人と朝鮮半島に住む人との関係もそのようなものがある。特に朝鮮半島からの憎悪。
今のロシア・ウクライナもしかり。
きのうTwitterで平野啓一郎氏が書いていたのだが、日本に住む一般のロシア人に親切に接することが大事。これ、今の私たちに重要なこと。
個人に憎悪を向けるのはいけない。
憎悪の連鎖が始まる。
少しでも情報を得ようと、日頃は買わないパンフレットを買ってしまったのだが、それによると、映画でイスラエル人のリーダー的なヴァイオリニストを演じたダニエル・ドンスコイは、ロシア人の父とウクライナ人の母を持つユダヤ人。
ユダヤ人は特に両親がロシアとウクライナ人であるケースは多そう。
映画クレッシェンドについては、わたしの期待が高すぎて満足はしなかったのだが、敵対する関係の連鎖を断ち切ろうとする取り組みとして、このようなことが現実にもあるということを広く伝えてくれて、そして、それは簡単なことではなく、失敗や挫折の重なりの中にかろうじて見える「希望」であることを伝えてくれて、意義のある映画だった。
戦争や対立は世界のどこかでいつも存在している。しかし、今大国ロシアがウクライナに侵攻していることで、他の地域より世界の関心が高まっている。
事態の収拾はどうなるのか?両国の、そして世界とロシアの人々の平和的関係が再(?)構築されるのか?
今にふさわしい映画ともいえる。
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