ユニバーサルデザインについて考える 左利きの場合から
現在「ユニバーサルデザイン」ということで、誰もが生活しやすいよういろいろな種類のものが作られています。
障害を持っている方、高齢者、妊婦さん等その方の持っている特徴と、一般的に普及しているものがかみ合わなくて、不便を感じる。それを解消するものであり、望ましい方向です。
わたしは左利きで、小さい時からいろいろなものが使えなくて不便を感じていました。
左利きよりももっと不便を感じておられる人はたくさんいるのですが、私目線ということで左利きとユニバーサルデザインについて述べたいと思います。
左利きはざっくり言うと人口の10%ぐらいだそうです。
私世代(もうすぐ60歳)の人は左利きでも親などから矯正されて、右利きと同じような生活をされている方も多いです。
私の母も左利きで、左利きを矯正されるのがつらかったため、私には矯正しませんでした。
母によると、たとえば・・・
戦時中、学校で運針(お裁縫で針でチクチク縫うことです。今もこの言葉生きてるのかなあ?)の時間につい左手で針を持つと定規でたたかれたとか・・・なんでも左針は「人を縫い殺す」と言って嫌われたのでそうです。
私は父の方針で鉛筆だけは右になりました。注意された記憶はあるが、つらかったほどの記憶はありません。
そのほかは、ほぼ左です。
私が小さかったころは今ほど左利き用のものはありませんでした。
はさみはなんとか左で使っていました。
中学校になって、家庭科で布を切る鋏を購入する際に左利き用があったので、それを購入しましたが、逆に指の力の入れ方がわからなくって、それから、とにかく、どんな鋏も使うのは苦手です。
カッターナイフも刃は両刃ですが、右手で持つことを想定されて作られています。(右手で持つと刃が体の中央寄りになる。)
悲しい記憶は、小学生の体育の時間にソフトボールがありましたが、左利き用のグローブがなくて、外野の遠いところにポツンと立っていたことです。今はさすがにそんなことはないでしょうが・・・
そのほか、「不便」と感じることは度々あるのですが、忘れていくものの多いです。
逆に左利きで便利なこともあります。
右手に鉛筆、左手に消しゴム。持ち替えなくていいです。
あるいは、右手にペン、左手にマウス。そしてキーボードを打つ。最近マウスは使いませんが、使っていた頃は、マウスは、左手の人差し指のあたるメインボタンを右に設定していました。ほかの人が私のパソコンを触ろうとすると不便でした。
今の生活で日々感じる不便は、今や家事に使うものがほとんどです。文房具も右利き用が多いですが、最近あまり使わないので気になりません。
最近ユニバーサルデザインについて改めて問題を考えるきっかけになったのはこれです。
私がうっかりしていたのですが、水を注ぐのに、注ぎ口があったほうがいいと思って買ったひしゃく。右利き用です。うまく水が植物の根元に注げません。
いつも、イラっとするのが、
本能的にパッケージの文字を手前にして、キャップを開けると・・・
左に傾ける仕様になっていて、使うたびに、ボトルを逆に持ち替えないといけません。文字を裏側にして持てばいいだけなのですが、なかなかそうはいきません。
気をつけて使えばいいだけといえばそうなのですが、自然な頭の働きを止めて、ものに配慮(たとえばボトルを逆にする)して使わなくてはならないことが、かなりストレスに感じます。
大昔買ったおたま。右のものは私は使えません。
右の木べら。くぼみがあります。先端は右に上がっています。右手で使うときれいにかき混ぜられ、力を入れてフライパンの底をこさぐこともできます。
左のヘラは、表裏が対称なので、右手でも左手でも同じように使えます。
しかし、チャーハンなど木べらがいいことも多くて、不便ながら左手で右の木べらを使っています。(たぶん、このデザインは探せば左利き用があるはず。)
左利きということだけでさえ、不便を感じることは多いのです。ほかのいろいろな少数の身体的特徴を持っておられる方は、日々さぞ不便でしょう。
探せば、身体的特徴にあったものは今はいろいろあると思うのです。しかし、探すのがたいへんだったり、公共の場所の用品が整備されていなかったり・・・
不便を感じていない人は気づかないけど、誰かが地味にでも大きなストレスを感じているものは多いと思うのです。
不便だと感じたら、メールとかで、すぐ伝えられる総合的な窓口があるといいと思います。
ユニバーサルデザインのプラットホーム
公共施設の人やメーカーがその意見を見て、改善を検討できる場があるといいと思います。
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