もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

中学生の制服を見て考えた。自由に浮動するインテリゲンチャ(知識人)を目指して。

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イメージ 無料画像より

高千穂町で、中学生が紺のジャケットにおそろいのパンツの制服を身に着けているのを見た。10人ぐらいの集団で、プリーツスカート8人、パンツ2人ぐらいの感じ。

ちょっと、うれしかった。

黒の学ランに黒いパンツの中学生もいたので、やはり男子と女子はそれぞれ制服があるということか。性で選択しない制服という意味では、紺のスーツスタイルと黒の学ランと誰でもどちらでも選べるといいけど、そうなっているかどうかはわかりません。

しかし、わたしはスカートかパンツか選択できる制服としてパンツを履いている中学生を初めて見ました。宮崎市では私の周りでは見かけたことがありません。

性から自由になるとか、自分の着たいものを選択できるとか、いろいろな意味で制服のオプションがあるのはたいへん好ましいことだと思っています。

そもそも制服が必要かとか、完璧な制服のオプションはどんなものかというと、今の制度は完全に整備されているとは言えないかもしれません。

ただ少しずつ不具合に対して改善されているとは思います。

十数年前の出来事です。

うちの子は小学生の時、吹奏楽の部活に入っていて、チューバを吹いていました。大会とかも出ていて、ユニフォームがありました。5年生までは、黒いズボンで横に金色のモールが付いたものでした。

6年生になって、指導の先生が変わって、ユニフォームを変える話が出てきました。先生の提案は、女の子はチェックの膝がちょっと出るぐらいのスカートでした。そのときの6年生はやんちゃな自己主張の強い子が多く、特にうちの子が強硬に先生案に反対しました。

チューバは大きな楽器で、小学生ぐらいの子は楽器を支えるのに、足を開いて両膝の間に椅子のようなものを置いて、そこにチューバをのせて演奏するのです。足を開いて短いスカートでは嫌だというのです。

先生の側についた保護者の方はうちの子たちを説得しようとしましたが、うちの子はスカート案をまったく受け入れません。私は、私がでしゃばることではないと静観していました。

先生とうちの子の対立というより、保護者とうちの子の対立が続きました。結果的には、たぶん先生が妥協(理解)してくださり、前年までのユニフォームを生かすということで、金モールだけはずしたズボンで落ち着きました。

この出来事も今であればちょっと深刻な様相の問題であったかもしれないし、先生もスカート案を出さないかもしれません。

時代は変化し、少しずつでも皆が生きやすい社会、多くの人に理解されにくい社会的にマイナーな立場にいる人に生きやすい社会に向かっていると思っています。

そして、そのような社会になるよう自分も努力したいと思っています。

でも、自分の価値観や行動はやっぱり不完全で、日々考えたり、反省したりの毎日であります。

 ちょっと飛躍しますが、20世紀前半に著作を出したカール・マンハイムの「イデオロギーユートピア」のことをふと思い出します。

彼は、どんな思想もその立場や時間に拘束されているという思想の存在被拘束性を指摘し、知識社会学を構想した。思想の存在被拘束性を乗り越え真理に近づくためには、全体的視野から相関や歴史を見ようと立場を自由に浮動する知識人(自由に浮動するインテリゲンチャ(ドイツ語版))になるべきだとした。(Wikipediaより)

 この本は、マンハイムの「イデオロギーユートピア」とオルデガの「大衆の反逆」が一緒に入っていてお得感満載です。

 人はいくら自由になろうとしても、歴史や環境に拘束されて、完全に自由な思想を持つことはできません。だからこそ、自由に浮動するインテリゲンチャ(知識人)になるよう努力しなければならない。わたしは、自由に浮動するインテリゲンチャ(知識人)にはなれないんだけど、それを目指して努力することが重要なのだと思って生きています。

中学生の制服を見て、うだうだとこんなことを思いました。

 

 

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