河川敷のダンサーに感謝 アートな気持ち
今週のお題「感謝したいこと」
昨日の夕方いつものように川岸を犬と散歩していたら、かすかに音楽が聞こえる。
どこから?と見まわすと、川の向こうの河川敷に緑色の人。音楽に合わせて踊っているようだ。
この人は、緑色と白のグラデーションの長いドレス(?)を身にまとっている。袖の下はジュディー・オングのドレスのように長くたっぷりしている。(ジュディー・オング!若い方知ってるかなあ?)
腕を上げて、ゆっくり回ると、その布がピンと張って動く。きれい。
しばらく、ダンスに見とれていた。遠いし、うまいかどうかなんてわからない。
ただ、ありえないような河川敷という場所で、体の動きに合わせて緑と白の布がヒラヒラ動いているのにしばらく見とれてしまった。
なんでこんな時間に、こんなところで、衣装を着て踊っているのか、状況は全くわからない。
よくわからないけど、見とれてしまった。
思った。ワタシ、アートが足りない。アートの気持ちが不足している。
アート(芸術)というと、なんか高尚で近寄りがたいと思われる方も多い。
私は、アートって、人を突然非日常に引き込む、きれいだったり、訳が分かんないだったり、すごいだったり、ワクワクさせてくれるものであれば、決して高尚な、権威のあるものとは限らないと思う。
かといって、何かすればアートになるかというと、人の心を動かす何かがないとアートとは言えない。
コロナによる経済の停滞で生活に支障が出ている人が増加した中、日常生活にそこまで必要ないアートは対策が後回しにされた。でも、アートはやっぱり必要ということで、現在は国等も支援を行っている。よその国と比べることは今はしない。
人によって心をワクワクさせれくれるものは様々だと思うけど、どんなものであれアートは必要。単なる生活維持だけでは心が持たない。
私はけっこうアートな気持ちをもって生活していると思っていた。毎日チェロを弾いているし、アートな感覚で服を着ているつもりだったし、料理の盛り付けもいろいろ工夫して楽しくしているつもりだった。
でも、このダンサーを見て、こんなに心が動くとは・・・
私にはアートが足りない。アートな気持ちが不足している。ワクワク感が不足している。コロナだけが原因ではない!
たとえば、今、毎日2時間以上、オーケストラの定期演奏会のためにチェロの練習をしている。下手だからしょうがない部分もあるのだが、音程・リズムを正確にすることばかりやって、音楽を楽しむ気持ちが無くなっている。皆と合奏しても、自分がうまく弾けてるかどうかだけが気になって、みんなでチャイコフスキー(演目なんです。)の音楽を表現するとか、伝えようとする気持ちがない。
これでは、アートになならない。人に何にも伝わらない。かなり反省してしまった。
また、自分で何か創り出すことばかりでなく、日常の暮らしでアートな気持ちが足りない。最近、面白いことが少ない。
積極的にアートな場に参加すること。アートな感性のアンテナを立てて、日常のどこかにアートを感じること。ワクワクすること。このアンテナの感度も落ちている。
楽しまなくっちゃ!
きのうのこんなことを考えた。河川敷のダンサーに感謝。これこそアートだった。
今朝も犬と同じ場所を散歩した。きょうは、よく晴れて、川も青が濃く、キラキラしていた。
昨日ダンサーが踊っていた場所は、消防自動車と救急車がいて、その後ドクターヘリが来た。重症の病気かけが人を高度な医療ができる医療機関に連れて行く。
鳥も自分たちの生を営んでいる。
日々はいろいろな出来事が積み重なって、進んでいく。
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