池澤夏樹「クジラが見る夢」再読
今週のお題「もう一度見たいドラマ」
久しぶりに、池澤夏樹を手に取った。
理由がある。
先日行ったコンサート「be quiet」でアルボ・ペルトの「鏡の中の鏡」という曲を聞いた。
昔見たテレビドラマ「スティルライフ」で流れていた音楽だ。
今調べたら、1989年TBSで放送したもの。
記憶には、澄んだ冷たい空気感と高地のイメージがある。
一度見ただけだが、強く記憶に残った。なんでそれを見たかも覚えていない。
原作が池澤夏樹。芥川賞をとった作品。池澤夏樹という名前もドラマを見た後知った。
以来、私は池澤夏樹を小説はほとんど読んでいるし、3年以上、ベッドに入って睡眠前の儀式として毎晩繰り返し読んでいた時期もある。
今回手にした「クジラを見る夢」は、素潜りの世界記録を持っていたジャック・マイヨールとカリブの海で過ごした体験を語ったものだ。
透明な海。イルカやクジラとの接触。そして、なによりもジャック・マイヨールの生き方への深い共感がつづられている。
久しぶりに再読したわけだが、共感しまくり!!
1文1文が印象深く、書き写そうと思った。だが、それは、キーボードを打つことはふさわしくないのではないか。これから述べることになるが、精神と身体は密接に連携しており、手を使って、実際に文字を書いて写すべきではないか、と思うに至った。
きれいな字でもなく、読むほうはご迷惑かもしれませんが、私が1字1字書いた文を載せて、紹介と感想を述べたい。
さらに、できるだけ読みやすいフォームがどのようなものか試行錯誤中なので、ばらばらなフォームの引用についてご了承ください。
ジャックがなぜイルカにこだわっているか。
生きることの目的は何なのか。生命を維持するために消費社会の中ではある程度稼ぐことは必要だが、生きていて何がしたいのか。ジャックは明確に目的を失っていない。
憧れる。一方、与えられた生を何も考えず維持しながら、その中にささやかな喜びや楽しみを見つけていく生き方も、私は否定できない。
ジャックは素潜りをする。
海に潜る目的は人によって違う。海の中の自然と自分とのつながりを確認しようとするとき、やはり素潜りがいい。
わたしは、潜るというよりシュノーケラーなのだが、スキューバダイビングをやってみて、違和感を感じた。わたしが海でしたいことじゃない。自分が海の自然のなかにお邪魔させていただくこと。それには自分も自然でいたい。
山も同様。わたしが酸素ボンベが必要な高い山に登れるほど山の技術が向上するとは思えないが、たぶんわたしは酸素なしで登れる範囲での山の体験で十分。危険でない範囲で酸素の薄さも含めて楽しむ。
日常でも、夏は暑さを、冬は寒さをできるだけ楽しみたい。「そういうことしてると熱中症で死ぬんだ」と子どもに怒られる。
昼は太陽の明るさを、夜は暗さを楽しみたい。だから、夜は最低限の照明しかつけない。これも、家人から理解されないので、一人の時や自分の周りだけ。
クジラとの関係は・・・
クジラがジャックの言うとおりの存在なのだとしたら、すごい存在。人間の理想かもしれない。少なくとも古代ギリシャ人の理想だろうな。
現在人にとっても、「あこがれ」はするのだろう。ただし、「あこがれ」が現実となってしまうとどうののだろう。SF的な瞑想をしてしまう。
偉大なものに近づこうとする意志は強すぎると、キケンなんじゃないかと思うが、その求め方において、自分の精神と肉体を通じて行っていることに重要性を見出す。
肉体と精神の統合、あるいは肉体と精神のバランス。
これも古代ギリシャ的です。今気づいたんだけど、池澤夏樹はギリシャで暮らしてたことがあるので、関連性があるのかなあ?
少なくとも、次の文章は「そのとおり!!」なのです。
わたしの生活志向がこれとまったく同じなので、当然共感したのですが、人間全体が、あるいは個人が継続(発展とか進歩という言葉はあえて使わない。)していくためには、この観点は重要。
自分は生きてきた時間の中での体験や思考が積み重なって形成されている。この本を再読して、今のわたしを構成する1枚の層が確認された。
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