理解・記憶の特性 映像記憶・直感像記憶
きのう、pokuchanさんの次のブログを読み、考えることがありました。
映像記憶についてです。
実は、ワタクシ、自分の理解・認識で、人と違っていて、というか苦手なことがあります。
数字を音声で認識することです。
「書かれている数字」、それを表現する「音声言語」、意味する「数字」の認識の関係がなめらかでない。
たとえば、「6」という数字。字を見れば、「6」だとすぐに認識できます。
が、「ろく」と言われても「6」であることを認識するのに時間がかかります。認識できないこともあります。
「265」を「にひゃくろくじゅうご」とか「にろくご」と言われても理解できません。「265」という数字を見ればすぐに理解できます。
数字を読み上げるのも苦手です。「265」を「にひゃくろくじゅうご」や「にろくご」と言うのはかなり難しい。
昔、仕事の中で「数字の読み合わせ」ということがあり、紙に書かれているデータの数字をエクセルとかに入力したものが間違っていないか、一人が元データの数字を読んで、もう一人がエクセルの数字を見て確認するというような作業です。
これが全くできない。
電話で相手の電話番号を聞いてメモにするというのも、間違うので、何度も確認が必要でした。
ワタシ、何か認識能力に障害があると思っていました。
楽譜を読むことも、同じようなことがあります。
五線譜に書かれた楽譜を見てチェロを弾きます。
そのとき、私は、その楽譜に書かれた音符をドレミでは読みません。五線譜の下から2番目の線の上にある音と認識して、直接チェロのその音程の出る部分を指で押さえます。これは「シ」なのですが、「シ」という言葉は認識と行動にはでてきません。
チェロではある音程を出すのに、弦を変えれば別の位置を押さえても出ます。例えば、ミはD線の上、またはG線のちょっと下の部分で出せます。
楽譜の上から2番目と3番目の間の音符を見ると、押さえるところは「ここ」と頭と指が働き、その二カ所の部分のどちらかを押さえればいいと考えることはできます。
人が、演奏の中の「ミソミシのところ」とかいうと、「?どこのことか?」すぐにはわかりません。
数字よりは楽譜を見て音名はすぐに出てきます。
理由はわかりませんが、数字よりは「書かれている情報」、それを表現する「音声言語」、意味する「音」の関係はなめらかに移行するようです。
普通の言語について言うと、話されている情報は、すぐ理解できます。
慣れの問題か?これが苦手な人は絶対的にコミュニケーションが難しいだろうな・・・
いわゆる書かれている文字言語の情報を認識する特性は、メリットもあります。
というのは・・・ものすごい速読でアリマス。
大げさに言うと、あるページを見るとゆっくり読まなくても情報は頭に入ります。目に入った文字の並びで頭に情報の概念がインプットされるようです。
ただし、文字列イコール直接情報の概念なので、小説とかで人名を言えません。主人公の名前され言えないことがあります。
たとえば、「エルスぺス・マギリカディ」という登場人物。(アガサ・クリスティーの「パディントン発4時50分」に出てきます。今、たまたま手元にあったもの。)字面で人物の特定はできていますが、名前を言えない。
この「マギリカディ」も今の今まで「マギリティカ」だと思っていました。
で、これらの私の障害・あるいは特徴は何なんだろうと長く思っていたのです。脳のどっかが人と違うのかも?と思っていました。
・・・きのうのpokuchanさんのプログに映像記憶に関する能力が高い人だけが正解できるというテストがリンクされていました。
自分の障害・特徴のことを考えたわけではなく、深く考えずやってみたのです。
結果は全体の1%の人が持っている「直感像記憶」(イコール映像記憶です。)があるという判定がでました。
でも、わたしは何かを見て、たとえば写真を見て、何から何まで記憶できる能力はありません。実生活でこの能力が役に立った自覚もありません。
直感像記憶も程度があって、鮮明な記憶力とわたしのようなぼんやりした記憶力あるのでしょう。
ただ、私の認識は映像優先で、そこが、数字や楽譜や言葉の理解・認識が人と違っているのだと、すとんと胸に落ちました。
そういえば、電話番号は覚えるのが苦手ですが、覚えようと思ったら、書かれた数字を見てそれを覚えるということは意識してしているなあ・・・
これまで、自分の認知力に障害があると思っていたのですが、一種の特性なのだろうと理解しました。
身体だけでなく、脳の働きも人それぞれ個性や特徴があって、近年発達障害とか注目されている。
これを「障害」というか「特徴」というか・・・
発達障害は生きていて不自由なところばかりが強調されるけど、その脳の働きで多くの人より優れている部分があるのではないか?素人の想像ですが・・・
こんなことから、いろんな人が共生できる社会のために、障害とともに障害とされる特徴の裏側の優れた点を合わせて理解し、その優れた部分を社会で活躍させる取り組みが重要なのではないか?
即、それについて書いたわけではないが、関連する趣旨の過去ブログです。
この年になって新たな自己発見があったわけです。他者を理解することはもっと難しい。
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