もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

大江健三郎のこと

とうとう大江健三郎がなくなってしまった。

私の構成要素の素が故人になった若干の寂しさ。

といって、最近は全然読んでいなかったのだが・・・

 

大江健三郎は時代の人だった。私が読み始めるより先に大家になっていたが、私は私と同時代の作家だと思っている。

 

初めて大江健三郎を読んだのは大学1年だと思う。オオエなるもの読まなくては、人様についていけない!という気持ちだったと思う。

多分、「飼育」と「万延元年のフットボール」を読んだのだと思う。

全然意味が分からなかった。日本語として体に入ってこなかった。難しい?理解困難・・・

大江健三郎の文章はわかりにくくて、悪文だと思っていた。

それから、20歳代の後半、オオエを再び読んだ。これは理由とかきっかけは思い出せない。

ものすごい心に沁みた。

そのころ、私は不眠症で、でも当時は精神科で睡眠薬をもらう時代ではなく、眠ろうと色々試みていた。部屋は真っ暗。そのうえアイマスク。耳栓。

でもあまり効果はなかった。

現実のごちゃごちゃから逃げるため、布団に入って本を読むようになっていた。この習慣は今も続いている。

そのころ、毎晩読んでいたのが大江健三郎である。オオエは4年以上続いたと思う。その後池澤夏樹に移ったような・・・

オオエの中期のものが好きだった。

M/Tと森のフシギの物語

懐かしい年への手紙

キルプの軍団

治療塔

短編だと

「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち

新しい人よ眼ざめよ

静かな生活

 

これらの本を最初から最後まで読むことを繰り返すのではなく、本を手にして、パラパラめくり、好きな場面を見つけて、そこを読む。

1日30分ぐらいだったかなあ・・・

キリスト教徒が寝る前に聖書の一部を読む感じ?ホントはよく知らないが、映画にそんなシーンがありますよね?

 

繰り返しオオエを読むことで私が得ようとしたのは、救い(救済)、癒し、理想、希望だったのではないかと今は考えることができる。当時は寝る前の精神安定剤だったのである。

ほんとうに救われました。

オオエから離れたのは、「燃え上がる緑の木」のあたり。小説にも共感しなかったし、私の勝手な見方で、オオエが偽善者っぽく見えてきたのだ。ノーベル賞を取ったあたりには、私の心はオオエから離れていた。

虚心で読めば、その後に作品にもいいものがあったかもしれないが、それから全然読んでいない。

だからといって、厚いハードカバーの本たちを処分することもできず、椅子がないと取り出せない書棚の上の方に今も置いている。

間違いなく、私はあの本たちに助けられたし、現在の私を構成する土台の大きな要素である。

今後も処分することはない。

ときどき本を見て、思いをはせる。

大江健三郎はなくなってしまって、新しい作品は生まれない。

私はオオエを土台にまだ生きていく。

 

久しぶりにオオエのことを考えた。

 

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