もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

「グチ」にまつわる話 

人と込み入った会話をするとき、「困ったこと」が話題になることがある。

「困ったこと」の話題の展開は、「相談」と「グチ」に分けられる。

「相談」は、困ったことの問題点を明らかにし、解決策を見出すことが目的で、助言が求められる。

「グチ」は困ったことについて語るのだが、話している本人も実はどうしようもないとわかっていて、どんなに困っているか伝えることで終わる。助言しても、「そういうことはできないことがわかっている」というような返事がある。

相手がしていることが、「相談」なのか「グチ」なのか、はやめに判断することが重要で、そこを間違ってしまうとたいへん疲れる。

わたしはグチがきらいなのだ。

カウンセリング的には、グチは聞いてあげて、受け入れて、共感することで、グチを言った本人の精神的苦痛が軽減されるらしい。

しかし、わたしはつい解決策を探してしまって、解決策がないことにイライラしてしまう。人間としての度量が小さいとも言える。

自分自身もグチは言わない。どうしようもないことは受け入れるしかなく、誰かに語ることで、再度イヤなことを思い出して、いっそう心の健康に良くないと思う。

・・・と言っても、あまり人の愚痴を聞く機会はない。

類は友を呼ぶ・・・のか、私の周りにいる人はグチを言わない。あるいは、私が「グチは嫌いです。」オーラを出していて、わたしにグチを言わないのか・・・

あるいは、グチを言うほど親しい人間関係が築けていないのか・・・

 

ウチの子はこの4月で、会社員になって5年目になる。

ときどき、仕事のことを相談されて、長く会社員もどきをやった先輩としてアドバイスをすることもあった。

この2月だったか、電話があって、会社の周りの人がダメで、自分がやりきれないほどの量と質の仕事をせざるを得ず、残業もいっぱいしてるけど、それでも終わらないかもしれない、というようなことを、長々と話した。

わたしは、自分が何を話したか、明確な意図と内容を自覚していたわけではない。ウチの子は、わたしが、「そんなに嫌なら、今すぐ仕事をやめるべき。今やめないのなら、とにかく自分ができるだけのことをするべき。今やめないのであれば、こんな電話をしている暇があったら、とっとと仕事をしたほうがいい。」と言ったと受け取ったらしい。

で、ウチの子は今はやめずに、がむしゃらに仕事をすることにしたらしい。

しばらくして、その時の問題は解決したらしく、会社の親しい人に母の発言を話したところ、「親が言うには厳しいが、まさしく的確な助言」と言われたとのこと。

しかし、ウチの子は「グチ」を言っていたらしいのだ。

「そうなの。たいへんねえ。」と言ってもらいたかったらしいのだ。これが本当のことかは疑問である。ワタシがグチが嫌いなのは当然知っていて、ウチの子は私にグチを言うとは思っていなかった。

母にグチを言うのは間違いだった。そして、グチを言う相手は別の人にしたという。会社の仲良しの先輩。

「で、その人はグチを聞いて、なんて言うの?」

「たいへんやねー。がんばれ!!て言う。」

 

人間関係において適材適所というのはあるだろうから、グチを聞いてくれる人を確保するというのも良い判断だろう。

さすがに自分の子どもなので(いや単なる友人であったとしても)、どうしようもない「つらい」とか「悲しい」とかいう感情は受け止めてあげたい。それはワタシでもできると思う。

でもねえ・・・グチはねえ・・・

苦手なのである。

 

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