もっともらしくない!!

早期退職したアラ還。毎日が発見!周りのものを大切に愛をもって暮らしていく中で気づいたことや考えたことを書いています。

「クマ問題を考える」を読む。

 

はじめに

狩猟文化研究者である田口洋美氏の「クマ問題を考える」を読んだ。

 

 

山に行くと、「クマ注意」の警告表示を多く目にする。

山で人がクマに襲われる事件のほかに、最近はクマが人の生活するエリアに出没したという報道もよく見かける。

クマだけでなく、イノシシやサルにも町場に頻繁に出没している。 

 

わたしは、人間がクマをどう付き合っていくかにたいへん興味がある。

人とその他の存在の良好な関係性を維持するためにどうすればいいのかの典型的な事例だと思う。強くて怖いからクマは無視したり踏みにじったりできないので、人間はクマとの関係を考えざるを得ない。

クマとの関係を考えることは、ほかの存在との関係においてもおおいに参考になると思うのだ。

 

前に、次のブログを書いています。

lamabird.hatenablog.com

 

さて、今回の「クマ問題を考える」は、著者の過去の事例検討、統計学的な分析、実際の山でのクマの行動を追う、また猟師さんからの聞き取りといったフィールドワークに基づいて書かれている。

 

1 分析

最近人の住んでいる地域へのクマの出没が増えたことについて次のとおり分析している。

 

記録を見ると100年前までクマの出没件数が多かった時期がある。「近世のシシ荒れ」である。

その時、農民と狩猟者が協力して野生動物を山に押し上げることに成功した。

ちなみに、その時、柳田国男は「明治大正史ー世相編」でこのように言っている。

「や獣野鳥の物語がすでにローマンス化した・・・・野生動物が減少したのは狩猟家と鉄砲のみの罪でない。つまりは人間の土地利用が、おいおい彼らの生息を不可能ならしめていたのである。」

農耕地が増大し、農作物を守ろうとした農民の抵抗で野生動物の出没が減ったのである。

 

その後社会は野生動物の保護に変わった。

狩猟数が減少した。

同時に農耕者の減少が続き、都市の拡大により、森林と町が近接した。

農耕地はクマが本来生息する森林と町の中間に位置し、クマの食べられるものが豊富である一方、クマの姿が確認しやすく、クマも慎重に行動せざるとえない場所で、人間とクマの対立の緩衝地となっていたが、農業の減少により、緩衝地帯がなくなった。

そして、クマが森林から餌のある街に直接近づくようになり、人間社会を脅かす現在に至っている。

 

理想的な農耕と狩猟の関係は次のようなものであった。

 

農耕にとって生産性を高めるには鳥や獣は排除するべきものである。が、農地の生産性が高まるほど、鳥や獣にとって農地は持続性のある餌場となり、彼らは養われる。

鳥や獣が増えることは猟師にとっては猟が持続できることを意味する。

狩猟と農耕は野生の鳥や獣との関係、自然との関係という意味では真逆の性格である。

しかし、だからこそ分かちがたい関係となる。

狩猟者は農耕者の森林に寄り添うことで持続性のある猟場を獲得できる。一方、農耕者は耕地に侵入しようとする鳥や獣を狩猟者が捕獲してくれるため安定した農耕を営むことができる。

狩猟と農耕の補完的な関係があった。

 

狩猟をすることで都市を結果的に守っていた山地域の狩猟者が減りその役割が果たせなくなった。

農業もマンパワーや生活スタイルの変化で減少し、農耕地は荒れるか、住宅地に姿を変えた。

 

2 対策

で、これからどうすればいいか。

(1)バリア・リーフ型モデルの再構築

近郊農村、農村集落。中山間地域の集落といった複数の集落の存在が野生動物の繁殖や生息域を拡大しようとする圧力を押さえ込み、直接都市に及ばないように軽減する緩衝域となって都市を囲んでいた。

この従来存在した「バリア・リーフ型モデル」を現代に再構築しようというのである。

 

耕地と森林、あるいは市街地と森林という2極化した空間の間に草地を設け、2極構造を3極構造に変える。

(2)イヌの活用

そして、もう一つの対策として、わたしが興味を持ったイヌである。

 

イヌは狩猟において重要な役割を果たし、人間もその重要性を十分認識していた。

猟の記録として明治初期に丹沢でカモシカ2頭の売却代金が当時の巡査の初任給の2.5倍程度で、猟師の配分はみな平等、猟に犬を用いた場合イヌの取り分が用意されていたというものが残っており、それほどイヌを大事にして狩猟をしていたのである。

また、クマは犬が大の苦手で1頭で吠えられても尻込みするほどイヌに弱いという。

 

イヌの放し飼いがなくなったことが集落や街へクマ等の大型野生動物の出没を許すことに大きく起因しているという。

イヌは人間が農作業している間や寝ている間に、本能的に自分たちの縄張りを守ろうと動物たちを追ってくれていたというのだ。

ただ、クマは利口で、イヌが綱につながれていると、綱を距離を考慮して、イヌが近付けないところを移動することができるらしい。

クマを追い払うには繋がれていないイヌが望ましい。

 

そこで、もう一つのクマ対策として、著者は次のことを提案している。

緩衝地となる草地帯にイヌを放す。

河川は、雑木林や雑草刈り払い、ドッグランや夜イヌを放せる仕組みを作る。この対策ではシカ類は増えるが別途駆除をする。

 

このように地域の空間構造を変え、イヌを動員しなければクマ類などの大型野生動物は阻止できないと著者は結論付けている。

3 狩猟者の考え方

本の全体の構成としては以上のようなことであるが、著者のフィールドワークで狩猟者、マタギと呼ばれる人の考えをすこし垣間見ることができた。

狩猟者の野生動物に対する考え方にたいへん興味を持っている。

 

この本に出てくる狩猟者の考えは次のようなものである。

 

狩猟者は狩猟は野生動物の資源性を評価し利用するための行為であるから、野生動物を激減させるインパクトを嫌悪する。彼らは単なる駆除を嫌う。野生動物に感謝しても敵意は持たない。

マタギたちは、獲物に出会えるのは神の力のおかげであると信じている。神が自分の前に獲物をよこしてくれる、神がチャンスを与えてくれた獲物であるから「オレが獲った!」という私の理論ではなく、「授かった!」という喜びを神が与えたくれたと考える。

彼らは、クマが増え、人が増えて、山の神様を喜ばせて、森をより豊かにすることが願いなのだ。

ただし、一度人を襲ったり、人を襲う恐れが明確になると、駆除の対象とする。これらの動物は自然の神の擁護する範疇を逸脱した個体であり、人身事故を起こした個体は資源利用しない。

 

この神の恵みと駆除の対象の明確な線引き。

狩猟者の野生動物の対する考え方を改めてみることができた。

 

 

マタギ系の人の話はもっと知りたいです。また読んでみましょう。

 

 

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